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多和田葉子「雪の練習生」

2011.03.07 23:32
雪の練習生雪の練習生
(2011/01)
多和田 葉子

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 サーカスの花形から作家に転身し自伝を書く「わたし」。その娘で伝説のバレリーナとなった「トスカ」。彼女の息子でベルリンの動物園で皆に愛されて育った「クヌート」。人と動物の間を行き来しながら綴られる、ホッキョクグマ三代にわたる物語。
 
 前作「尼僧とキューピッドの弓」から僅か半年、多和田さんの新刊です!
 多和田さんの新作の主人公はホッキョクグマです。
 猫とか犬とか、世の中に人のようにモノを考えたり書いたりする動物が出てくる小説は数多くあれど、あえてわざわざ「ホッキョクグマ」を選んだセンスに脱帽です。言われてみればホッキョクグマって、仁王立ちしたりとやけに人間臭いところがあって、中に人が入っていると言われてもあんまり疑わなさそう(笑)。
 そんなあるホッキョクグマの三代にわたる物語が、ソ連、東ドイツ、カナダ、ベルリンを舞台に三部構成で書かれています。

 まず、サーカスの花形だったホッキョクグマ「わたし」が自伝を書く作家となる「祖母の退化論」。
 ホッキョクグマである「わたし」が、何故かサーカス時代の回想を書いている。それが(誤解も含めて)予想外の評価を受けて、彼女は自伝を書くことに。ホッキョクグマが? 自伝を書く? 現実には到底有り得ないことを、この人が書くと違和感なくなるから不思議。
 けれどもこのホッキョクグマ、本当に「ホッキョクグマ」なのか。
 読み進むに従って、実は作者の巧妙な罠に嵌ったのではと何度も疑います。
 「ホッキョクグマ」は、そう呼ぶに相応しいただの元サーカスの曲芸師に過ぎないかもしれない。あるいは北の方の少数民族を指してるのかも。それらと「ホッキョクグマ」との境界がはっきり明示されることもなく曖昧で、時に容易に溶解していく。
 この曖昧さというか自分がどこにあるのかわからなくなるという感覚は、二ヶ国語で作品を書く著者ならではのものかもしれません。そして、こういう普段意識することもない感覚の提示にはっとさせられる。
 
 それは以下に続く「わたし」の娘や孫の物語にも引き継がれます。

 続く「死の接吻」は、「わたし」の娘・バレリーナの「トスカ」の物語のはずが、トスカではないその相手役を演じた女曲芸師ウルズラの語りで始まり、ホッキョクグマが書いたもの語るものを読むんだろうと思っていた読み手を混乱させます。けれどもそのウルズラの物語は、舞台の上で二人が交わした口付け(死の接吻、と呼ばれたもの)の度にウルズラからトスカへと移された角砂糖のように、いつしかトスカの物語へと呑み込まれ溶けていく。
 何処から何処までがわたしで何処から何処までがあなたなのか。ここでも境界が曖昧にぼやけてゆく。

 そして、ベルリンの動物園で皆のアイドルとして育つ孫のクヌートの物語「北極を思う日」では、最初三人称で書かれているからそのつもりで読んでいたら、ヒグマやツキノワグマといった他者との遭遇によってクヌートが「わたし」を発見し、一人称の物語へ。著者を信じきって読み進めていたら、思わぬところで小気味良く裏切られます。
 最初の「祖母の退化論」の中に、こんな気になる一文があります。
 「子どもになるということはすでに自然を失うということ。子どもになる前のことがどうしても知りたい」(30頁)
 この「子どもになる前のこと」というのは、もしかして「わたし」という存在を認識する以前の三人称の世界のことなのかな、とクヌートの幼少期に思いました。彼は「他人に言われたことの中には、一度気になり始めるとそれ以外のことが考えられなくなることがある」(209頁)と感じ、やがて他人の言葉に危険を覚えるようになり、「『わたし』という言葉を使い始めてから、他人の言葉が身体にまともにぶつかってくるようになって」(211頁)しまう。
 クヌートのこの経験こそ「自然を失うこと」ではなかっただろうか。

 ベルリンで生まれ育ったクヌートは、北極を知らない。実の母トスカが育児放棄をしたために飼育員の手によって育てられたので、「ホッキョクグマ」を知らない。その母トスカもまたカナダの生まれで北極を知らないのだった。それでも本能なのか、彼らは知らず知らずのうちに白く凍てつく北極を追っている。今、「北極」を「北極の大地」と書こうとしてはっとなった。そういえば、北極には「大地」はないのだ。地球温暖化の果てに消えてしまうかも知れない何だか不安定な存在、そこが無くなれば生きて行けないホッキョクグマを主役に据えた意味の深さに今更気が付きました。
 陸地育ちのホッキョクグマにとって、北極とは何なのだろう。
 そして、それでも「ホッキョクグマ」である彼らとはいったい何者なのか。
 現れては消える様々なイメージを追いながら迷宮にはまり込む、そんな不思議な読書時間でした。

 余談。
 クヌートの飼育係のマティアスがギターで奏でる曲のチョイスがいいです。
 ファリャの「粉屋の踊り」とエミリオ・プジョルの「丸花蜂」。
 割と知られている前者はともかく、後者が渋い!! こんなところも楽しめました(笑)。 
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Author:夜長姫
お立ち寄りいただきありがとうございます。
本や映画や音楽の感想を新旧問わずマイペースに書いています。
ジャンルは何でもござれですが、微妙な偏りがあるみたいでそれに流されがち。好みの合う方がいらっしゃれば大歓迎です。
本、というか文芸は物語のしっかりしたものよりは、迷宮に迷わせてくれるような作品が好み。映画は劇場鑑賞派です。
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※たいして頭の良くない人間が無い知恵絞って書いております。無断転用等はご容赦くださいね。

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