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山川彌千枝「薔薇は生きている」

2011.05.24 23:28
薔薇は生きてる薔薇は生きてる
(2008/02)
山川 彌千枝

商品詳細を見る

 1933(昭和8)年に僅か16才で結核のためにこの世を去った山川彌千枝(1917~1933)の遺稿集。
 収められている散文、短歌、日記、友人宛の書簡には、少女らしいみずみずしい感性と、死を前に達観したかのような眼差しが同居している。刊行された当初(1935年)、少女たちの熱心な支持を得、また現在に至るまで多くの人に読み継がれている名作です。
 解説に、穂村弘、川上未映子、千野帽子。
 山川彌千枝は、ドイツ語教授の父・幸雄と女流歌人・柳子との間に9人兄妹の末っ子として生まれる。父は早くに亡くなるが、才能溢れる兄や姉たちに囲まれ、文化水準の高く自由な雰囲気の中で育つ。けれども当時はまだ治療法のなかった結核に罹り、僅か16という若さでこの世を去っている。
 「薔薇は生きている」は、母・山川柳子が参加していた女流短歌誌「火の鳥」発表された彌千枝の遺稿集で、今回を含めて9回単行本化されている(1935年沙羅書店刊、1939年甲鳥書林刊、1947年ヒマワリ社刊、1948年能楽書林刊、1955年四季社刊、1956年美和書院刊、1966年久保書店刊、1987年創樹社刊、2008年創英社刊)。
 刊行されたばかりの1930年代半ばには彌千枝と同年代の少女たちから絶大な支持を受けていて、当時女学生だった田辺聖子は、著作「欲しがりません勝つまでは」の中で愛読していたことを語っている。また、当時大ブームになっていた川端康成の少女小説「乙女の港」でも、本書が重要なアイテムとして出てくる。

 中村佑介氏のカバーイラストだけでは、昭和初期に生きた乙女の残した手記か何かのように思われるかもしれませんが、これは結核という病のために16でこの世を去った少女の遺稿集である。だから、単純にレトロな雰囲気あふれる読み物ではない。むしろ時代を超えて通じる普遍性すら漂う名著だと思う。

 いちばん最初、彌千枝がまだ8才の頃に作った散文からは、当時の高い文化水準の中で育った感受性豊かで成熟な少女の面影が見えてくるだけだが、病床についてからその様子が一転する。
 病気はきっと治ると信じ大きくなったら何をしようかと夢想し、そして元来が明るい性格のためなのか読む者にこのままこの人生は続いていくんじゃないのかと思わせるような書きぶりの中、けれども何処か死を覚悟しているような、十代前半の少女が抱くには辛すぎる葛藤や哀しみが漂いはじめる。それは、散文、短歌、日記、友人に宛てた書簡どれもに溢れており、時折心が痛くなる。
 けれどもそれは、可哀想な薄幸の少女への同情ではなく、おのれの肉体に日増しに忍び寄る死を見た、ひとりの生きた人間の痛切な「生きたい」という思いを何より痛切に感じるからだ。

 「おこしてよ。おこしてよ。/ 私の病気をなおしてよ。(122頁)」

 母の柳子が夜、彌千枝の側にいてやりたいけれども部屋の冷え込みが酷く喉を痛めるから出来ないとういう記述があって(278・279頁)、どういうことだろうと思っていたら、結核に有効な薬や治療法のなかった当時は空気の良いところで静養するのがいちばん良いとされ、結核患者の部屋は真冬でも窓を開け放していたのだという。それでは逆に体に障るのではと、今ではちょっと考えられないことがそう遠くない当時は当たり前のこととしてあったんですね。

 幼くして死を身近に生きねばならなかったためか、彼女の言葉には時々はっとさせられる。

 「ベットを窓ぎわに寄せて空を見た、私は空の大きいのを忘れていた(131頁)」
 「窓際で見た空のひろさ、ああ私は空の全部を見たい(131頁)」

 わけても、タイトルの「薔薇は生きている」の元となったこの歌。

 「美しいばらさわって見る、つやつやとつめたかった。ばらは生きている(127頁)」

 穂村弘が解説しているとおり、これはばらに触れている「私」の指が暖かいからばらが「つめたかった」と感じているのであって、「「ばらは生きている」とは「<私>は生きている」の痛切な裏返し(299頁)」だ。命の危機にさらされもせず安穏と日々を送っている私は、ばらに触れて冷たいとか温かいとか、思ったことはない。

 彼女が病床にあって読んでいたという本の話題があちこちで出てくるが、その内容たるや、「少女パレアナ」、「鉄仮面」やシェイクスピア、オースティン、トルストイ、ジッド、マン、バック、チェーホフら文豪の小説や戯曲、更にはキリスト教関連、社会派ノンフィクションと、とても10代半ばの少女とは思えないほど多岐に渡っている。
 特に驚いたのは、戦前の海外文学の翻訳の充実ぶり。この中に出てくる作品には、今ではもう日本語で読むのは難しいものも多く、当時これだけのものが翻訳されていたのかと思ってしまう(多くの書籍案内にもなっている本書の註は必見)。
 これは、彼女がそれだけのものを読める環境にあったということなのだろうけれども、誰もが想像するように、もしも彼女の命があそこで終わらなかったなら、いったいどんな道に進んだのだろうかと考えられずにはいられない。

 彌千枝の日記は、1933年3月21日、亡くなる10日前で終わっている。それを引き継ぐかたちで、母・柳子の日記が綴られている。
 そして3月31日。
 その日初めて「もういや」と少女らしい泣き言を母にぶつけた彌千枝は、たった16で逝く。
 母はその日の記録をこう書いて締め括っている。

 「生まれて初めて化粧したる顔、花嫁の如し。(271頁)」

 後年、川端康成は短編「禽獣」の最後を、この言葉で終わらせているくらい、この作品に入れ込んでいたという。
 子を失った母親の深い哀しみを湛えるこの言葉以上に、この作品の最後に相応しいものはありません。
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本、というか文芸は物語のしっかりしたものよりは、迷宮に迷わせてくれるような作品が好み。映画は劇場鑑賞派です。
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